静岡におけるはきものの発展には漆器がその裏付けとなっており、特有の技法を応用した塗下駄で全国にその名声を高めてきました。明治の初期、下駄職人の本間久治郎は、大衆向けにつくられていた高下駄、吾妻下駄に漆塗りを試みて売り出し、これが静岡での塗下駄の発祥となりました。以来、東京方面での好評に支えられて地方送りも始まり、静岡といえば塗下駄といわれるほどの盛況期を迎えることとなりました。
これには静岡の漆器は明治から大正時代にかけて輸出漆器として名をあげたのが第一次大戦後に輸出が不振になり、このために木地、塗り、蒔絵の職人たちが製造過程の似かよった塗下駄の製造に転換し、それぞれに趣向をこらした製品づくりを競ったことが発展を促す契機ともなったのです。