静岡の竹細工は、相当古くから”駿河細工”と称され、親しまれて来ました。しかし、単なる竹細工が竹千筋細工として今日のような精巧な技術となった起こりは、天保11年(1840)のこと。岡崎の藩士、菅沼一我が静岡に立ち寄り、宿泊先「はなや」の息子清水猪兵衛に技術を教えたのが始まりとされています。
清水猪兵衛は門弟を多数育て、菓子器や虫籠を作って販売し、世間に広めたといわれています。明治にはいってからは6年4月ウィーンで開かれた国際博覧会に、日本の特産物として出品され、竹ひごのかもしだす繊細な雰囲気、東洋特産の竹の妙技は西欧諸国の特産品をしのぐ好評を博し、これを契機に多くの製品が海外へ輸出されました。
戦後になり、次代のニーズに対応しながら着実に発展してきた竹千筋細工は、昭和51年に通産大臣から伝統的工芸品の指定を受け、さらに独特の技法を駆使し、国内の住宅インテリアの分野にも進出し、電灯笠、行灯などの新商品開発によって、日常生活の中に伝統工芸の存在をしっかり感じさせてくれています。